桃とペンギン、夏の午後

好きな人や好きなものを思いつくままに

20190919現在の心境

亮ちゃんが9月いっぱいでエイトからいなくなります。

知ったのは、当日、職場でした。昼休みにそんな話題が出て、いつもは見ないのに、定時過ぎにスマホを開いてしまいました。

それから、怖くてツイッターもネットもテレビのニュースも見られませんでした。テネットやテレビは、無責任なマスコミが報じるものを見て嫌悪感を抱くのを避けたかったからで、ツイッターは、エイタ―のいろんな気持ちに触れるのが、怖かった。私は人の気持ちや意見に影響を受けやすいので、いろんな思いを目にしたら、それに引きずられそうだったし、単純に翌日が平日だったのであんまり不用意に泣く訳にもいかなかったというのもあります。

すばさんのときは、ツイッターに救われました。いろんな人が同じようにショックを受けて、いろんな思いを吐き出していて、1人じゃないって思えて、次の日もその次の日も、日常を送ろうとがんばっているんだろうな、と励まされました。でも、今回はできるだけ、自分の思考すらも遠ざけて、言葉にすることも避けて、今まで来ました。

考えて、言葉に当てはめてしまうのが嫌なんだと思います。今の感情は、私の知り得る言葉で表しきれるものでない気がするんです。それなのに、言葉にして綴るということは、言葉に変換して、それを文字にして、読み返して、と何度も自分にそう思い込ませる行為のように思えるからです。それにすら私は影響を受けてしまいそうだったからです。

今も、気持ちは固まっていなくて、考えることも避けています。10月以降のことを真剣に捉えられていない、と言われればそうかもしれません。現実を受け入れられていないとも言えるかもしれない。このまま、ぼんやりとしたまま、9月が終わってしまうんだろうな。

レギュラーの収録分も含めて、もう亮ちゃんはエイトとしてテレビに出ることはないんでしょうかね。私はそんな気がしています。いや、出てほしい気持ちはあります。すばさんのときみたいに、関ジャムとクロニクルでは(ジャニ勉ではもう出ないらしいことを聞いたので)、最後らしい何か、最後らしいことはなくとも、6人の中にいて笑っている亮ちゃんに会わせてほしい。

でも、亮ちゃんは、十五祭でエイトとしての姿を見せるのは最後で、あとはあの言葉だけで終わらせようとしているのかもしれない、とも思います。その方が、亮ちゃんらしくてしっくり来てしまう。あの言葉で十分やろ、と思っていそう。去り際は、あっさりと。ライブのときもずっとそうでした。みんなで盛大に送り出されるのも多分苦手。私が見てきた限りの、彼の美学的にも、このまま去ってしまうんじゃないかな、と思います。

 

十五祭のオーラス、幸運なことに、私はその場にいることができました。私は、その日の亮ちゃんを見て、なんだか元気がないように見えて、心配になってしまって、ずっと目が離せませんでした。笑ってるのを見て、亮ちゃんも楽しんでる、と安心しました。最後も、亮ちゃんがステージからいなくなるまで見送ったはずなのに、記憶にその映像はありません。

 

これから、亮ちゃんは何をするんでしょうか。彼なりのエンターテイメントとは何なんでしょうか。表に出てくる仕事なんでしょうか。

表に出る仕事だとして、これから亮ちゃんがすることが、もし演技の仕事だったら、それは観に行きたいと思ってしまうような気がします。音楽活動だったら、CDや音源を買ったりするかは分かりません。

5人になったエイトのことも、これからどういう風に思うのかも定まっていません。47都道府県ツアーは行こうとは思っていますけど…きっと、亮ちゃんを探して泣いてしまうんだろうな、と思います。すばさんがいなくなったときよりも強く、もう、私が好きになった関ジャニ∞ではないんだろうな、と感じてしまっています。

 

…やっぱり、まだ全然消化しきれていないようで、これを打ちながらも泣きかけています。今はこのへんで止めておきますね。

また、何かまとめて書きたくなったら来ます。

エイト以外のことも、書いたらいいんでしょうけどね。